2分、遅れます。

タイムリーでも、周回遅れでもない、思考の振りまき。

ホタル-2


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 夜の帳が少しばかりか濃度を増すと、池の周囲の様相も刻々と変化を始める。街から発せられる数々の嬌声が幻聴の様に響いてくる。それに混じって、丸々と肥えたウシガエルの鳴き声が静かに揺れる水面に染みゆく。

 

 池の中心に浮かんでいるだけの筈だった睡蓮の花が、別の箇所にも目に付く。

 

 すべてを溶かし尽くしてしまいそうな暗い闇の中にあって、真っ白な何片もの花弁を湛えた着物を身に纏い、ゆったりとした長い髪を夜気に湿らせながら、細く伸びた指の先を地面に遊ばせている。

 

 

 池の縁に、一人の少女が座っている。

 

 

 僕の中で、何か得体の知れない感覚が一斉にさざめく。

 

 少しずつ歩を進めて行き、ようやく掴むことの出来た彼女の輪郭は、昇り始めて間もない青白く、幻妖な月の光を受けて、半透明に見えた。

 

 彼女の視線もまた、一定している。

 

 池の遠くの闇から、羽化したばかりのホタルの淡い光が染み出している。いくつかの閃光に紛れて、いつの日かこの街を通り過ぎていくであろう僕の姿も目に浮かぶ。

 

 隣り合うとも、距離を置いているとも言えない僕と彼女の間隔を、拙く、ただ力強く短い言葉の応酬が上滑りしていく。

 

 「祭りに飽きて、ここに来たのか。」

 「ここの近くに住んでいるのか。」

 「その着物は、どこの誰があしらえたものか。」

 

 

 「本当に、目が見えないのか。」

 

 

 彼女は、一貫して穏やかだった。

 腫れ物に触る様な同世代の人間からの扱いも、目に余る程の過保護の裏側にある、実の肉親が抱く彼女への憎悪も、全て、包み隠さずに話してくれた。

 

 僕は、彼女の言葉を受け入れるより他なかった。丁度、睡蓮の根が池の水から養分を攫う様に。

 上空には、いよいよ密度を増してきた月光が、雲煙を透過しつつ呻いている。

 

 突如として、無数の花火の粒が夜空に向けて舞い上がった。

 大袈裟な破裂音とともに炸裂していくそれは、造花が見せる華やかさを暫時呈しては、次々に肉眼では感知できない程に小さく、惨めな消しズミとなって地上に落ちてゆく所だ。

 

 彼女の足下に生えた葦が揺れる音が少しばかりか途絶え、代わりに街にまだ蔓延っている様々な艶っぽい声が聞こえてくる。

 

 彼女は、薄く笑っているようにも見えた。見えない筈の彼女の瞳は、いや、見えないがための彼女の瞳は、ただひたすらに、翡翠色の曲線を描くホタルの発光を写しているばかりだ。

 

 僕は不意に、花火師の手元が狂い、街全体に散った火花に燃え盛る人々の姿を想像する。

 

 そうしたならば、彼らの緩みきった表情から一瞬にして微笑は消え失せてしまうだろう。

 

 そうしたならば、醜く焼け爛れた自らの姿にようやく気付き、絶叫を上げ続けるだろう。

 

 そうしたならば、お互いの醜い姿を罵り合い、終いには花火の消しズミの如く燃え尽きてしまうだろう。それで良い。

 

 この街に、開ききった睡蓮の花弁と、名も無いホタルの明滅以上に美しいものがあってはならない。

 

 この世界に、彼女以外に美しいものがあってはならない。

 

 今この瞬間に、彼女の隣に居るのは、僕でなくてはならない。

 

 

 それを、彼女も、感じていなくてはならない。

 

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