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2分、遅れます。

タイムリーでも、周回遅れでもない、思考の振りまき。

ホタル-1

 

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 いつ果てるかもしれない、ごく静かなうねりが、勢い良く水を撥ねて飛び立った鷺の羽根の一振りで乱されると、僕は半分閉じかけた瞳を見開き、ハタ、と我に返った。

 

 もう何日もこの場所にこうして立っている気がしている。実際の所、ここに来てものの数十分と経ってはいない筈なのだが。

 

 辛うじて感知できる程度に靡く夕凪に、幾重もの影を引き連れた熊笹の葉が揺れている。

 

 

 街外れの、鈍く光る淡萌黄色の水に満たされた池に浮かんでいるのは、開き始めた睡蓮の花だ。

 

 

 あれほどの猛威を振るっていた暑気は、とうに失せている。それと同時に、街の中心では既に提燈の安穏とした暖色が踊り始める。

 それと同時に、わざとらしく騒ぎ立てる人の声が膨張していき、毎年何も変わらない、精一杯に粧された夏の祭日の風景へと、街は相成っていく。

 

 その風景の一部に、先ほどまで僕も居た。

 

 意気軒昂な若者達の、大仰な声に塗れて、祭りはより一層の活気に満ち満ちている。

それと反比例するように、活気を失くしていく僕は、粘着質な液体を吸いすぎたがために破裂し、惨めなゴム片となり地面にへばり付いた水風船の姿そっくりだった。

 

 大人も、幼児も、老人も、どぎつい色彩の着物に身を包み、健康そのものな微笑を交わしている。

 人々が眼下に捉えているのは、乳白色のプラスチックケースの中で蠢く大量の金魚だ。

 片手に、自分の顔ほどもある大きな綿菓子を持った幼女が、和紙をあしらった専用の掬い網で水面を乱す度に、彼らの胸鰭や瞳孔が頼りない動き方をする。

 好奇に濡れた幼女の瞳と、網の上で跳ね回っているその生き物の瞳とが合致する度に、その光景を取り巻く人々から歓声と、か細い溜息が漏れ伝わってくる。

 

 限度をとうに超し、張力に耐えかねた網が破れる音と、ケースになみなみと注がれた水道水の中へ落下していく金魚の音が交錯し、途方に暮れる幼女の表情がその場を埋め尽くす瞬間、人々からわざとらしい落胆の声が湧き上がり、屋台の店主は苦笑いを浮かべながら立ち上がる。

 

 ハリボテの様な慰めの言葉と、空々しい拍手喝采の元に、ビニール袋に提げられた三匹程の金魚を手渡された幼女は、泣き腫らした、満足気な顔を浮かべて、それを受け取り立ち去っていった。

 

 

 僕は、こんな光景を見た日には、この街には、これ以上は居られないと思った。

 

 甘ったるい調味料が焦げる匂いも、アルコールに浸りきった人々の胴間声も、プラスチックケースの中を所在無く漂う金魚の濁りきった視線も、とにかく何も感じたくは無かった。

 

 広場の中心では、円筒に似た物体が数本整列している。もう少し闇が深くなった所で、派手な花火を何発か空に舞い上げる算段だろう。

 

 道往く人の目のどれもが、金魚を掬い上げた幼女の如く、てらてらと濡れ、街を彩る赤や緑の電飾の如く、中空を彷徨っている。

 

 僕の視線は一定している。それは予定調和で人工的な光を捕まえようとはしない。

 

 擦れ違ったある男の靴底に、水風船の破片が貼り付いた。呆気なく太く角張った指で取り除かれてしまったそれは、再度、砂埃に塗れて寝穢く地面にへばり付いているばかりだった。

 

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